2009年12月23日水曜日

鶴ヶ島市の視覚障害者関連7団体交流会

12月20日(日曜)の13時から16時まで、鶴ヶ島社会福祉協議会会議室で、鶴ヶ島視覚障害者関連7団体の交流会が開催されました。
これは市内の視覚障害者のサポートをする、音訳サークル、点字サークル、拡大写本、パソコンボランティアサークル、デイジー図書、移動支援などの各ボランティア団体が、一同に会して行われた相互理解のための交流会です
内容としては、第1部の歩行訓練士の清水 美智子さんによる講演と実技で、「視覚障害者をサポートするボランティアのための視覚障害者のサポートの仕方」と、第2部はボランティアの方々とのグループによるヂスカッションの2部に分かれて行われました。グループごとに、自己紹介やらボランティアになったきっかけなどの話で盛り上がりました。

2009年12月19日土曜日

ライブ音声ガイド 「声なびシネマわかば」の発足

去る11月下旬に、誰でも一緒に映画を鑑賞したいという願いから鶴ヶ島近隣地域の視覚障害者とボランティアの皆さんが集まって「声なびシネマワカバ」というサークルが立ち上がりました。このサークルは、「ライブ音声ガイド付き映画」を上映するボランティアグループとして、鶴ヶ島の「シネプレックスわかば」を中心として活動を開始いたします。
この「ライブ音声ガイド」とは、映像など視覚的情報が得られない視覚障害者に対し、視覚的な情報を補うための映像解説を行うものです。登場人物や場面の状況、移り行く場面など、その特徴や情景など視覚的情報を言葉で説明して、視覚障害者のイメージを高めてゆくものです。
具体的な実施方法は、音声ガイド担当の解説者が映画館の映写室から映像を見て、映画の場面を解説し、その音声をFM送信機から発信します。視覚障害者はその電波をFMラジオでイヤホンを通して解説を聞くものです。ライブ音声ガイドがあれば、視覚障害者も長年の夢でありました一般の映画館で健常者と一緒に、同じ映画を同じ席で同じ感動と楽しさを共有することができるようになります。
このような視覚障害者の期待に応えるために、「声なびシネマわかば」として設立総会を開催して、正式に会として発足いたしました。

2009年11月2日月曜日

秋の信濃路ドライブ紀行 第1日

今回は信濃路に茸取りと観光そして温泉を目指して関越高速道から上信高速道をひた走り信州の佐久平へ向かいました。
横川サービスエリア手前では、右手の山は黄色と赤の紅葉が始まり、左前方には荒々しい山容をした妙義山が腰をすえています。
佐久のインターで高速と別れ、地元の茸取りの案内役をしてもらえる人と合流しました。
案内役の方の農地では、丁度稲の刈り入れ中とのことなので、小高い山を登り、刈り入れの現地に立ち寄る事となりました。
この耕地では20~30本の稲が一つの束になっており、これを鎌で刈ると気持ちよく切り取ることができました。
乾いた田には、刈り取られた稲の跡が、ポコンポコンときれいに等間隔で並んでいます。
刈り取った稲は、横に渡した棒に7対3の割りに、またがせて21日間天日干しをするのだそうです。何と一粒のお米から一本の稲に130粒ほどのお米が実るのだそうです。
今年は雨が少なく、田は乾燥しており暖かな日差しと、少し冷たい爽やかな風を受けて、短時間でのミニミニ農業ができたのは、私にとってラッキーな初体験でした。
次に車で移動し、モギヤマ峠付近?に車を止めました。
道脇のカラマツ林の柔らかな土を踏みしめて行くと、草や枯れ枝、マつぽっくりの中に隠れるように、全体が黄色をした、かわいいキシメジが見つかりました。
また、同じような所に、茶色の帽子をかぶった、リコボウという茸も見つけることができました。
周囲は静かで風の音とともに、カラマツの葉でしょうか、ハラハラと枯葉が舞い落ちてきます。
次に車を走らせると、すぐに止まり案内役が降りると、何とそこにはすぐ道脇に大きなクリタケが生えていました。今年は雨が少ないため茸は不作とのことでした。
帰路の山中では、周辺の小高い山々を背景に、白樺林と色好き始めた紅葉の素晴らしいコントラストの景観を楽しむことができました。
今日の泊まりは春日温泉の望月荘であり、温泉はかけ流しの広い浴室にどっぷりと浸り、透明な温泉は、肌を撫ぜるとすべすべとした感じで、生き生きとした滑らかな肌触りになっていました。

秋の信濃路ドライブ紀行 第2日

翌日は朝風呂に入り、すっきりした気分で、車に乗り込み旅館を後にしました。
青空の下、車窓よりたわわに実るリンゴや柿の木々を眺めながら、別所温泉の無言館を目指して走りました。
この無言館は、戦争にかり出されて無言のまま帰らぬ美術学校の学生達の遺作を展示しているところです。
建物の内部は、打ちっぱなしのコンクリートで質素にできており、壁には学生が描いた自画像・裸婦像・風景画、自刻像などの原画が掲示されています。
20代の画学生達の遺作を見るにつれて、志を半ばにして散っていった戦争という痛ましい状況を思い起こし、胸の痛みを感じざるを得ませんでした。
次には、珍しいクルミのオハギを味わうため、由緒ある前山寺へ向かいました。
この寺は有料で、境内には国の重要文化財の三重の塔が建っています。
この三十の塔は、室町時代に立てられたものです。高さは19メートルほどで、回廊や窓などがないのが特徴で、変化と調和にとんでいるため、未完成の完成した塔とも言われているのだそうです。
藁葺き屋根の本堂にお参りし、庫裏の座敷で予約制の名物のクルミのオハギヲ味わうことができました。
次は、別所温泉の名勝の一つで、善光寺と向かい合っているといわれる北向き観音に向かいました。
普通の寺院は南向きに建てられますが、この観音堂は北向きであり、南面している善光寺と向かい合うように建てられているのだそうです。
この境内には、何と温泉の御手洗い所があり、暖かな温泉で手を濯ぎ身を清めることができました。
北向き観音堂に安置されている本尊は、千手観音菩薩であり、南向きの善光寺は阿弥陀如来です。
北向観音は善光寺と相対しているため、善光寺と一体となっており、善光寺詣でだけでは片参りと言われています。
また、来世の往生の善光寺に対して、北向観音は厄除け観音としても知られているように、現世のご利益を願うところとなっています。
北向き観音堂を参拝後には、片参りを避けるため一般道を経て、長野の善光寺詣でに向かいました。
この信州の善光寺は、一光三尊阿弥陀如来様を本尊として、創建以来約1400年にわたって、庶民の心の拠りどころとして信仰を得ている古刹です。
特定の宗派に属さず、あらゆる人々が参拝できる無宗派の寺院として知られています。
現在の善光寺本堂は、1707年に再建された江戸時代中期を代表する寺院建築として国宝に指定されているものです。
本堂参拝後に、初めてお戒壇巡りを体験しました。
これは内々陣の奥の右側を進むとお戒壇巡りの入口があります。
階段を数段下り本道の床下のあたりの真っ暗な幅1メートルほどの回廊を、手探りで巡り、中程に懸かる「極楽の錠前」に触れることで、錠前の真上におられる秘仏の御本尊様と結縁を果たし、往生の際に迎えに来ていただけるという約束をする場だそうです。
黄昏迫る善光寺を後に、長野から上信高速を経て、余り渋滞にも巻き込まれることなく関越道に入り帰路につくことができました。

2009年9月23日水曜日

ファンタジィとロマンチックな世界 ディズニーシー

JR舞浜駅を出て、ディズニーのモノレールに乗った時から、ファンタジィとロマンチックな世界に引き込まれてしまいます。
このモノレールの車窓より、まだ空いている駐車場を眺めると、何とポールを並べてミッキーの顔が描かれているではありませんか。
正面ゲートをくぐると、目の前には噴水で支えられているように見える直径8メートルほどの地球儀があります。これは世界の海を表現するように、ゆっくりと回転しながら、その表面を水が伝わって流れ落ちています。
園内を散策すると、古いヨーロッパの港町、前世紀のアメリカの風景や、アラビアなどの町並みが並んでいます。そしてビヤダル、水ガメ、ランプ、カナダらい、水道や流し台などの生活用品が、店頭に無造作に配置されており、まるで古民具の博物館を見ている感じです。
建物内では、アラジンのマジックランプシャーターが開かれており、ステージのコプラが竹篭から顔を出して、魔法のランプの不思議な物語を語っていました。次の部屋に進み借用したサングラスをかけると、トランプなどが目前に迫ってくるようなマジックショウに観客は見入っています。
また、アメリカの古い建物を見ながらゆっくり走る高架鉄道、爽やかな風を受けて走るミニ船旅などを、のんびりと楽しむことができました。
更には、アラビアからボートで出発して、7つの島を巡り、シンドバットが最後に財宝を獲得する物語などを、音楽や歌そして、動く模型などで構成されており、これらをボート上から眺めて楽しむことができました。
食事などは、園内のどこのレストランも美味しく、値段も手の届く範囲であり、かつ、ゆっくりと落ち着いて休むことができたので、十分に満足することができました。
孫の最大の関心事は、「チップとデーるのクールサービスデラックス」というイベントで、水上より3艘のボートから観客に向かってホースで水を放水するもので、ビニールをかぶっていても、かなり濡れていました。この濡れるのが楽しいようです。
天候も思わしくないので、今回の最大の目的である、このディズニーシーの園内にあるホテル ミラコスタに早めにチェックインしました。部屋は5階で、ゆったりと広く窓からは、シーの水上でくり広げられるショウの開場が正面で間近に見ることができます。
食事を済ませて夜、部屋に戻ると、ベットの上には、孫がおいていった二つのヌイグルミのうち、一方のヌイグルミにはテレビのチャンネルを抱いており、他方はチャンネル表を持って我々の帰りを待っていてくれました。なんともかわいらしくほほえましい感じです。これを見た孫は感動して大はしゃぎ。こんな楽しい心配りのプレゼントをしてくれたホテルスタッフのサービス心に深く感謝しました。

2009年8月9日日曜日

「こころかけはし歌声倶楽部」のコンサート

鶴ヶ島での「こころかけはし歌声倶楽部」が、
7月に第1回の「シャンソン特集」に続いて、
8月には第2回として、「タンゴ特集」のコンサートが開催されました。

このコンサートはレギュラーのピアニストの清水 智子さんと
作曲家でアコーディオンを演奏するマツオカ利休さんのコンビで
行われました。

今回の「タンゴ特集」には、バイオリン奏者の石井 夕紀さんが
ゲストとして参加しました。

曲目は「ラ コンパるシーター」、「淡き光に」、「ジェラシー」などを
演奏しました。

ピアノとバイオリン、そしてアコーディオンによる力強く、
情熱的で迫力ある演奏には、しばしの間、タンゴの世界に
引き込まれてしまいました。

後半は、すばらしい歌声の清水さんのピアノの弾き語りにより、
「赤とんぼ」、「夏は来ぬ」、「夏の思い出」など
心いやされる日本の叙情歌を皆で楽しく歌ってすごす事ができました。

2009年8月1日土曜日

映画 《剣岳 点の記》を鑑賞して

先日シネプレックス若葉で上映中の新田次郎原作の《剣岳 点の記》を見に行ってきました。
当日は平日のため、すいていると見込んで午前の第1回の上映にあわせて出かけてみましたが、何と7~8割の席が埋まるほどの盛況でした。
この剣岳は、2999メートルの岩峰で、弘法大師が3000足のわらじを使っても登れなかったという伝説があり、地元では登れない山、登ってはいけない山と信じられていた未踏峰の山でした。
明治40年に、陸軍の陸地測量部が中部山岳地帯の地図上の空白地点の山に三角点を設置し、日本地図を完成させる目的で、苦難と戦いながら測量を遂行してゆく物語です。
今回は音声ガイドはついていませんでしたが、ストーリーや情景描写などは、ほぼ理解することはできました。
私は15年ほど前に、この立山連峰の雄山から大汝山・藤の折立・真砂岳・別山・御前小屋を経て、剣山荘で宿泊し、翌日剣岳を目指しました。
一服剣を超えて、狭い切り立った岩稜を足のすくむ思いでたどり、前剣まで歩を進めることができました。
同行のサポートからの周囲の状況説明を受けながら、慎重に足を運び、岩をかむ山靴の音を聞きながらの行動は、緊張の連続だったことを思い起こしました。
また、一息入れる休憩時には、爽やかな風を感じながら周囲の風景を説明してもらい、自分なりの風景をイメージして、その場の雰囲気とともに楽しむことができました。
当日は快晴に恵まれて、この前剣の山上からは、富山湾をはじめ、能登半島まで望めたとのことです。
この映画の対話や効果音などからのイメージとして連想する剣の情景と、全く見えない私がたどった剣岳の厳しい登山の実感を重ねあわせた時、映画の進行とともに強い感動を受けました。

ブログのお引越し

本日よりウサハナブログはブロガーに引っ越してきました。
これより前の記事はニフティのウサハナブログ↓をご覧ください。
http://usahana.txt-nifty.com/